
シカゴ土地強奪と白人化したジャズ音楽の勃興。
これが「ポップミュージック」の転換点の一つだと思います。
シカゴの土地強奪がなければ、ジャズは発展しませんでした。
日本で一番高い山はと聞かれ「富士山」と答えられる人は多いと思いますが、「では二番目に高い山は?」と聞かれ答えられる人は少ないと思います。
同じように、ニューヨークはアメリカではほぼ常に第一位の大都市ですが、第二位の大都市が「シカゴ」と答えられる人は少ないと思います(と言っても常に第二位というわけではありません)。
この記事を読むことで、金融ユダヤを中心にしたフリーメイソンやイルミナティらによって「計画的に移住が行われたのではないか?」と感じることができると思います。
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当然そこには「金融ユダヤ人(悪魔崇拝者たち)」がいたこと、そして、宗教とマフィアの関係が深かったことなどがわかります。
シカゴの発展とジャズミュージシャンたちの北部移住や、禁酒法とジャズの発展。
これらが偶然に重なった出来事だったとは、どうしても思えません。
シカゴマフィアを含めた「バチカンマフィア」の盛衰と密接に関わっている部分も書き残しておきました。
個人的には「シカゴ学派」という「都市設計」に関わる人脈が最初にシカゴに入り込んだというところが、非常に興味深いポイントです。
ジャズと都市の発展が「偶然」と考える方にとってはこの年表を見てもあまり興味深くないと思いますが、何事も「必然」だと考えると、この年表には一貫した繋がりがあることがご理解いただけると思います。
シカゴ大火は放火か?土地強奪の痕跡
シカゴ大火での出火原因は「ランタンが牛に蹴られて倒れて出火した」とされていますが、これは新聞社による捏造でした。
また、被害が拡大した原因の一つに「消防機関の連絡ミスが重なったため」というものもあります。
当時のシカゴの「消防組織」がどのレベルのものか、わかりませんが、同時代を描いている映画「ギャングオブニューヨーク」などを見る限り、当時の「消防団」というのは、ギャング同士の縄張り争いの一種にしか見えません。
何せ、火事になった建物の前に来て、暴徒たちに紛れて悪さをしているようなものですから。
さらにこの火災の後にシカゴの後処理を担当したのが、合衆国陸軍のシェリダン将軍だったそうです。陸軍が指揮し、二週間の間、戒厳令が敷かれました。
それにしても、鎮火してから再建にうつる手際が良すぎるます。
英語版のWikipediaでは、「完全鎮火の当日には最初の建築木材が届いていた」そうです。
ガーデン・サルトンストール・ハバードのような事業主や土地投機家たちは、すぐに市の再建に着手した。再建のための最初の木材の積み荷は、最後の燃えている建物が鎮火した日に届けられた。
Great Chicago Fire – Wikipedia
また、シカゴ大火以前のシカゴでは、治水設備が十分ではなく、建物を「地面から浮かせる」という工夫をして対策をしていました。

またシカゴの木造建築は「建物をそのまま移動する」というのが「日常茶飯事」だったようです。
旅行者のデイヴィッド・マクレーは次のように記しています。「私が市に滞在中、1軒以上の家が引っ越しをしているのを見ない日はなかった。ある日には9軒も見た。グレート・マディソン通りを馬車鉄道で行く途中、家が通りを横切るのを待つために2度停車しなければならなかった。」そのような建物が本来持っていた機能は移動中もしばしば維持され、建物がローラーで通りを移動していく間も、人々はその中で食事をしたり、買い物をしたり、働いたりしていました。
Raising of Chicago – Wikipedia
ある意味ではこれもまた、悪どいユダヤ人たちが土地強奪の理由にしそうなことです。
その上、1833年に設立されたばかりだったシカゴという街は、1860年までのわずか30年で、200人ほどの住民が11万人まで膨れ上がっていました。(1868年には30万人まで増えていたともシカゴ建築バーチャルツアー: 建築の街シカゴと日本とのつながり — The Chicago Shimpo)
その上に先ほども言及した地下水システムがなかったことから、排水が悪いシカゴでは、たびたび「感染症」が起こっていた。
そして、準備の良すぎる街の再建に、ロックフェラー系のシカゴ大学からの「シカゴ派」の設計士たちが、都市の再建を進めていく。
この「シカゴ派」の功績は、今私たちが当たり前のように見ている「高層オフィスビル」です。
押し寄せる建築家
再建のために多くの建築家がシカゴにやって来た。カー氏はそのうちの著名な3人について話した。
1.ウィリアム・ル・バロン・ジェニー:ジェニーはフランスでグリーク・ローマン建築と技術を学んだ建築家だった。ビルは耐火性を重んじ、煉瓦、石、鉄を建材とした。高層ビルを建てたのは不動産を最高に生かすためだった。
ジェニーは重い石造りの高層ビルの沈下を防ぐため、基礎に多くの杭を打ち込みビルを安定させた。また金属構造を採用した。
1884年にジェニーが建設したホーム保険ビルディングは世界初のスカイスクレイパーといわれる。このシカゴで開発された建設技術は、現在の高層ビルにも使われており、ジェニーは「高層ビルの父」と呼ばれている。
シカゴ建築バーチャルツアー: 建築の街シカゴと日本とのつながり — The Chicago Shimpo
東京丸の内の高層ビル群も、シカゴ派の思想を受け継いでいるともいえるのです。
ここで一度、シカゴ大火から、ジャズとシカゴとの関連をまとめた年表を見ていきます。
シカゴの歴史年表|ジャズと興行とともに
1871年|シカゴ大火が発生。これを機に建築利権の「シカゴ派」が入り込む。ピークは1920年代以降。ルーツはロックフェラー家のシカゴ大学。「ゲットー」という言葉を生み出したのもシカゴ学派のルイス・ワースという「ユダヤ人」。
1893年|シカゴ万博開催。これを機に富裕層と貧困層の格差が拡大。白い建造物が増えたことからシカゴは「ホワイトシティ」と呼ばれ、オーケストラホール、図書館、博物館、公園のなどの文化施設の建設ラッシュ。電力産業が乱立。もちろん「シカゴ派」が多く関わる。
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1900年|シカゴの人口が170万人に到達。ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市となる。
1914年|アメリカ南部からミシシッピ川を利用してアフリカ系アメリカ人が移住。「北部に行けばよりよい仕事が得られる」と宣伝されたことから移住したが、シカゴでも激しい人種差別があり多くは貧困層となる。格差が要因となる暴動が日常茶飯事になり、市街地は無法地帯。まともな人はシカゴを離れ、街の治安が悪化。
1917年|ニューオリンズの「ストーリーヴィル」が閉鎖。これによってジャズミュージシャンがミシシッピ川を北上してシカゴへ移住。ルイ・アームストロングもその一人。1927年までにシカゴは「ジャズの中心地」と言われるまでになる。
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1920年|「禁酒法」開始。禁酒法によって、カナダ、メキシコ、キューバやカリブ海の国々というアメリカの隣国(国境を越えれば禁酒法は無関係)のアルコール業界が儲かり、これらの国からアメリカに酒が輸入。シカゴは「禁酒法でボロ儲けする者たちの避難所」だった。また、ジャズも禁酒法時代に広まった違法酒場「スピーク イージー」で必ず演奏されている音楽として栄えた。
1924年〜1925年|サックス奏者で「近代アイドル第一号」とも言われるルディ・バリー、ロンドンのサヴォイ・ホテル/The Savoyでバンドの一員として演奏していたところ、バンドマスターから歌手になるよう進言され、アメリカへ帰国。帰国後はメイン大学からイエール大学へ。その後「ルディ・ヴァリー・アンド・ザ・コネチカット・ヤンキーズ」を結成しヴォーカルを担当。「ルディ・バリー」は「アイドルミュージシャン」の第一号と言われる。ちなみに「サヴォイホテル」の経営者「ドイリー一族」は、「ブロードウェイの源流」であり、ライトオペラを広めるために「ギルバート&サリバン」の作家チームのために「サヴォイ劇場」を設立した。ブロードウェイのルーツとプロパガンダ|テレビ以前のマスメディアと音楽
1927年|日本で昭和金融恐慌(財閥系銀行への利益誘導のプロパガンダ)。スウィングジャズが勃興。シカゴではウィリアム・トンプソン市長誕生し、アル・カポネ率いるシカゴアウトフィットとトンプソン市長が結託しシカゴを恐怖支配。この頃のシカゴは「ジャズ業界」の中心地で、シカゴアウトフィットがプロモーターとして全てを仕切っていた。その一つがシカゴからほど近いイリノイ州シセロにあった「コットンクラブ」で、トンプソン市長が常連客。トンプソン政権下のシカゴではニューヨークを超える殺人件数を記録し、暗黒街が拡大。シカゴは「ギャングスター天国」と呼ばれていた。
1929年|世界大恐慌(昭和恐慌)開始。シカゴは大幅な財政赤字。「聖バレンタインデーの虐殺」を契機に、サム・ジアンカーナら1940年代〜60年代のマフィアが台頭。シカゴはマフィアの「揺り籠(マフィアが育てられる地域)」。シカゴ学派のルイス・ワースが都市計画の「同心円モデル」を提示「ダウンタウン、ミッドタウン、アップタウン」が形成される。
ルディ・ヴァリーがWABCラジオのスターとして有名になる。演奏のバックにはイエール大学オーケストラ。バリーは、当時最先端を追いかける女子たち「フラッパー」に人気だったが、彼女たちはライブ中「叫ばなかった」。
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1930年代|白人バンドマスターによる「スウィングジャズ」がダンスクラブを席巻(言い換えると洗脳)。ベニー・グッドマンの「カーネギーホールコンサート」は1938年開催。
1950年|シカゴの人口362万人(アメリカで第2位)。(1位はNYで789万人)
1957年|モルモン教徒で連邦準備銀行(FRB)とも繋がりのあるデイヴィッド・M・ケネディ(DMK)がシカゴ大学の理事に就任(ニクソン政権の財務長官)。財務を支配。
1958年|シカゴで黒人系のマフィア・ギャングが増加。
1960年代|シカゴでギャング、マフィアの抗争が激化
1970年まで|市長のリチャード・デイリーが市街地の再開発、治安改善、賃金格差是正で立て直し。
(デイヴィッド・ケネディのモルモン教徒いえばイルミナティのラッセル家)RAPT | イルミナティが天皇中心の世界統一政府を樹立しようとしていることを裏付ける幾つかの客観的事実。
1971年|ポール・マルチンクス、バチカン銀行総裁に就任。DMKはニクソンから「能無し」と判断され政権の財務長官の座を剥奪される。
1970年代|「コットンクラブ」があったイリノイ州シセロ出身のポール・マルチンクスらのバチカンとイタリアマフィアのスキャンダルが世間を騒がせる。
1975年|マルチンクス大司教のバチカン銀行、イタリアマフィア、アメリカマフィア、アンブロシアーノ銀行、ミケーレ・シンドーナ、ロッジP2などの「マフィア・イタリア政界むけのマネーロンダリングや不正融資」が行われる。(これらの呼び名を「バチカンマフィア」とする)
1976年|DMKが米台経済協議会(アメリカと中国の橋渡し組織「米華ビジネス会議」)を設立し、1990年までの14年間、同会長を務めた。
1978年|バチカンマフィアらが8月に教皇になったヨハネ・パウロ1世を暗殺。この後の教皇ヨハネ・パウロ2世(1978年-2005年)はバチカンマフィアをのさばらせ続けた。
RAPT | 現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
RAPT | 天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。
【悪魔崇拝組織バチカン】ローマ教皇フランシスコ、脳卒中と心不全のため88歳で死亡 | RAPT理論+α
1982年|バチカンマフィアの一角アンブロシアーノ銀行が破綻。頭取だったカルヴィが「口封じ」として、橋の下での「首吊り自殺」との報道で暗殺される。「バチカンマフィア」は、イタリアの極右政党、ユダヤ系富豪のゴールドスミス、ポーランドの反政府組織の「連帯」、連帯に資金援助していたCIA、アルゼンチンのファン・ペロン大統領、コンチネンタル・イリノイ銀行、アメリカ政府、モルモン教、連邦準備銀行なども含まれる。
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2006年|マルチンクスはヨハネ・パウロ二世の庇護のもとにバチカン銀行総裁であり続け、冷戦終結後の1990年にアメリカに帰国し、この年にアリゾナ州サンシティ(国勢調査指定地域(CDP:行政組織を持たない統計上の便宜的な地域名))の自宅で死去。サンシティはアメリカ北部、中西部、カナダなどの人々向けの「退職後のコミュニティ」(retirement communities)のひとつ。サンシティは1960年代に「高齢者だけが住む街」として主に55歳以上に人たちが暮らす。中央値年齢は75歳。
シカゴもニューオリンズも「マフィア」の巣食っていたアメリカの重要な都市の一つでした。
ニューディール政策と文化芸術 1930年代アメリカの劇場や音楽プロパガンダ
シカゴの市長やローマ教皇(カトリック)とも遠からず関係していたのが「ジャズ」だったと言えると思います。
誤解を恐れず言ってしまえば、「バチカンマフィア」の「カネ」で生活していたいのが「ジャズミュージシャン」や「エンタメ業界のほぼ全て」だったのかもしれません。
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