音楽史5.0において、まず初めに押さえておきたいのは、1700年代中頃から始まる「産業革命」による社会構造の変化です。もちろん、その影響力は音楽だけではなく、人間の生活全てに波及していますが、ここでは音楽と関係のある部分を抜き取ってみていきます。
中でも「人」と「モノ・コト」を分けてみていきます。
「消費者」の登場
まず人の変化としては、大量消費社会によって音楽の「消費者」が劇的に増えたことです。
レコンストラクションによる「労働者」の発生と、それによる「休暇・余暇」という都市社会サイクルが確立されなければ、ヒットチャートは成り立ちません。
この「新たな娯楽」を享受するようになったのは労働者階級だけでなく、上流階級も同じでした。
これはキリスト教の価値観の変化が大きく影響しています。
同時に、中産階級の人々も、それまでの「働くことが善、娯楽は悪」という考え方から「遊ぶことは罪悪ではない」という方向へシフトしていき、それまで教会などで行われていたネガティブキャンペーンも緩められて、牧師自ら「ミュージックホールや劇場に行こう」と説教する時代になります。中産階級上層部以上は主に、シェイクスピアなどの正当な劇場へ行く「劇場派」といえるのに対し、中産階級下層部と、労働者階級の上層部(いわゆる「労働貴族」)が「ミュージックホール派」と分類できる客層になってきます。このようにして、ミュージックホールは巨大娯楽産業に発展していきました。
#17 音楽史⑫ 【19世紀後半】 普仏戦争と南北戦争を経て分岐点へ|音楽史note
労働者階級での「上層部」と中産階級の「下層部」が近い生活水準にあったことが伺えますが、これより下に下層の労働者階級がありました。
これらの全てが商業音楽にとっては重要な「お客様」になるわけです。
この下地があってこそ、ヒットチャートが成り立ちます。
ヒットチャートとは多く人が同じ曲を聴くという状態です。
あちこちに点在する農村や街で、その地域ごとの流行歌は、どの時代でもあったはずですが、「あちこちに点在する農村や街」に「同じ流行歌」を伝えるにはマスメディアの発達を待たなければなりません。
新聞では音楽を直接聞かせることはできませんので、「声や音」を直接伝えられる「演劇」「ラジオ」「テレビジョン」「インターネット」などがヒットチャートの成立に必要な要素になります。
ラジオが始まったのが1920年アメリカのピッツバーグで、大統領選の開票速報が放送されたことでした。その10年後の1930年代に、ようやくラジオブームが訪れました。
録音技術と拡散・マスメディアの誕生
そこで次に見るのは、「モノ・コト」です。
ここではマスメディアが音楽を広めることを下支えする「録音技術」と「情報拡散方法(エンタメ界の販促ルーティン)」が重要な要素です。
電気録音によるレコードの登場で「ヒットチャート」が一般化したのは1960年代とします。
ビートルズ以前の世界的人気歌手といえばエルヴィス・プレスリーですが、当時はまだレコードプレイヤーが大衆に浸透しているとはいえません。
全世界でCD売上NO1は誰ですか?今現在、CD売上世界一のアーティストは誰か… – Yahoo!知恵袋
#17 音楽史⑫ 【19世紀後半】 普仏戦争と南北戦争を経て分岐点へ|音楽史note(リンク先<新たな伝達メディアの登場>に詳しい)
なので、白黒テレビの普及率が90%近くまで行った1960年代からを現在私たちが体験している「販促ルーティンが整った時代」と考えます。
私自身、テレビが当たり前になった時代しか知らないので、それ以前のマスメディアがどうなっていたのか?という部分がよくわかりませんでした。
ですので、テレビ以前の「情報拡散の構造」を中心に見ていくことにもなり、主に音楽産業の源流としての「ブロードウェイ」の成り立ちを見ていきます。
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