音楽史上のクリミア戦争。世界初の現代プロパガンダとブラスバンド拡散史

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クリミア戦争とは1853年から始まった戦争です。

場所はヨーロッパですが、現在の「グローバル社会」の礎となるものが多く出揃った、世界的な戦争でした。リストにするとこのような感じです。

  • 近代印刷技術の新聞によるプロパガンダ
  • ブラスバンド
  • 無宗教の看護師
  • タバコ
  • 世界同時発生する世界恐慌
  • 紅茶
  • ごまかしし放題の統計

全てについて解説をしていきたいところですが、ここでは商業音楽がテーマなので、関連する「近代印刷技術の新聞によるプロパガンダ」と「ブラスバンド」の二つについて見てきます。

ブラスバンドブームと音楽消費の変化・または「3S政策」

パンとサーカス。

この言葉はもともと、古代ローマの世相を批判して言及されたもので、この二つを大衆に与えておけば庶民を静かに支配することができると言われるものです。

産業革命真っ只中のクリミア戦争でこの「パンとサーカス」による大衆統治がいよいよ本格的になっていったと言えます。

ここでは「ブラスバンドがジャズへ繋がるもの」だということを明らかにし、その次に「ブラスバンドブームが自然発生的なものなどではなく、金融ユダヤ商人と王族=支配層が主導したものだった」ことを明らかにします。

庶民に「革命起こさないでみんなでブラスバンドをやろうね!」と言っても、そう易々とそれまでの生活習慣を変えるはずはないので、支配層たちは最もショッキングな「戦争」を使うことで、ブラスバンドを「ブーム」に仕立て上げ、庶民の統治方法を変えました。

軍楽隊がブラスバンドに「進化」する経緯は、以下の論文が非常にわかりやすくまとまっています。

迫られる軍楽隊改革とブラスバンド運動 日本ヴィクトリア朝文化研究学会 上宮真紀 著 .pdf

簡単にまとめてしまうと「ダメダメなイギリスの軍楽隊を再編するきっかけがクリミア戦争だった」ということです。

まず初めに明らかにしておきたいのは「ブラスバンドブーム」は、ヴィクトリア女王たち王族と経営者・商人たちの利害が一致していた、ということです。

上の論文では言及されていませんが、ブラスバンドの「コンテスト」がイギリス国内の全国規模で行われたのは、各地の有力な資本家がそれらのコンテストを資金的に支援したからです。

この流れに属するものに、1996年の英国映画「ブラス!」で一躍有名となったグライムソープ・コリアリー・バンドなどがあり、これは聴衆を相手にして聴かせることよりも、娯楽の少ない炭坑等において、演奏すること自体をみずから楽しむという自足的な要素をもっていた[11]。ヴィクトリア朝の時代、特に19世紀後半のイギリスの上流階級では、健全な娯楽を労働者にあたえれば、かれらの美徳を育て、資本主義社会に対する不満を和らげ、解消することができるであろうという社会改良主義が起こり、一般における吹奏楽活動の流行を支えた[13]。資本家もさかんに楽器購入の資金援助などアマチュアバンドの育成を支援している。イギリスではすでに1840年代にアマチュア音楽家向けの楽譜つき雑誌が刊行され、1860年代にはバンド間の連携が密になって「ブラスバンド運動」の動きが活発化した。各種のコンテストもさかんに開かれて活況を呈し、19世紀末には全英で3万ないし4万のバンドがあったとさえいわれている[13]。

吹奏楽の歴史 – 近代・現代 – わかりやすく解説 Weblio辞書

資本家たちにこのような行動を起こさせたのが社会改良主義とされています。社会改良主義の正体は何なのかといえば、名前を変えた「共産主義」とほとんど同じなようなものです。

そしてこれはイギリスだけの話ではなく「帝国主義」に支配された世界各地で、半ば強制的に広められたものでした。そして同時期に起こったのが、ブラス=真鍮でできた「楽器」の改良と世界的な拡散でした。

不思議と都合よくベルギーのアドルフ・サックスさんが、「指遣いが標準化された」「サクソフォーン」や「サクソルン」という楽器を開発し終え、これが軍楽隊に導入され、その軍楽隊が大衆化したことで、ブラスバンドームになりました。

英国式ブラスバンド – Wikipedia

またサックスの楽器を世界的に広めたのはイギリスのディスティン一族でした。

Distin family – Wikipedia

同時に戦争に勝つための士気をあげる「愛国歌」も流行したのがこの「クリミア戦争」で、これはその8年後から始まるアメリカの「南北戦争」でも同じようなことが繰り返されました。

そして南北戦争後に、軍楽隊が使っていた楽器を、中古品として安く入手したクレオールと黒人たちが「ジャズ」を形作っていきました。

こうしてクリミア戦争は、「楽器」という側面から「ジャズ」につながります。

ルイ・アームストロングも「コルネット/トランペット奏者」でしたし、世界初の「アイドル歌手」と言われるルディ・ヴァリーもサックスやクラリネットを吹いていました(ついでに言うと彼の師匠もでした)。

ルディ・ヴァリー – Wikipedia

このように「ブラスバンド」という「パンとサーカス」の原理を利用して、ビクトリア朝=産業革命以降の大衆支配を行ったと言えるのです。

また同じような概念に「スポーツ・スクリーン・セックス」を表す「3S政策」があり、私たちはこれらが広がる世界の中で暮らしています。それを「罠」と見てほどよい距離置くかどうかは、一人一人の判断に委ねられていると言えます。

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近代印刷技術の新聞による”マス”プロパガンダ

もう一つの「近代印刷技術の新聞によるプロパガンダ」を見ていきます。

まず、マスメディアの「マス」は「大衆」という意味があります。一度に多くの人に送ることが可能になった情報が「マスメディア」の特徴です。

農村で起きた結婚式の様子を、農村の人たちだけに教えても「マスメディア」にはなりません。つまり、「都市化」によって「一部の地域に多くの人が住む」ことや「多くの人が同じ情報を目にする」という状況が起きなければ「マスメディア」にはなりません。

実はクリミア戦争までにその下地ができていました。

その一つがクリミア戦争で大きな役割を果たしたイギリスの日刊紙「タイムズ(The Times)(英国で1785年に創刊した世界最古の日刊新聞/ロンドン・タイムズ)」でした。

ナイチンゲールが従軍するきっかけを作ったのも「ロンドンタイムズ」でしたが、”イギリスの軍楽隊が他の国の軍楽隊に劣っているので改善しなければならない”という論調を作ったのも「ロンドンタイムズ」で、しかもそのほとんどがたった一人の記者ウィリアム・ラッセル William Howard Russell に行き着きます。

William Howard Russell – Wikipedia

ラッセルという一族名といえば、エホバの証人やモルモン教と関係する名前として有名です。イギリスの貴族ベッドフォード侯爵も、ラッセル家です。

そしてこの「ラッセル」の名前がついた広場「ラッセルスクエア」付近には、ロンドン大学や大英博物館、ロンドン・ユダヤ博物館、マハトマ・ガンジー像などがあり、その近くの「タヴィストック広場」にはユングの弟子たちが多く関わっていたプロパガンダ組織の「タビストック人間関係研究所/タビストック・クリニック」がありました。

タヴィストック広場 – Wikipedia

そして「ラッセル」といえば、英国版アイビーリーグと呼ばれる「ラッセルグループ」を形成しています。

ラッセル・グループ – Wikipedia

さらに「ラッセル家」は、イルミナティ13血流の中にも入っている名前でもあります。

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その他にもロンドンタイムズがクリミア戦争で大きな役割を果たせたのは、当時のロンドンタイムズのオーナーのジョン・ウォルター3世の代に、世界初の両面印刷が可能になったことが挙げられます。

その輪転機を「ウォルタープレス」というそうです。

Walter Pressの輪転機(標準画像) | 博覧会―近代技術の展示場

このように今に通じる「マスコミ」という手法の基礎が確立したのも、クリミア戦争の頃だったのです。

またクリミア戦争が始まる2年前の1851年の人口調査で、こちらも史上初めて「農村部の人口よりも都市部の人口が多い」という社会構造になりました。

このことは、多くの人が同じ情報を知るという「マスメディア」「マスコミュニケーション」が”効果を発揮する状況が成立した”ことを意味します。

そしてアドルフ・サックスの「サキソフォーン」や「サクソルン」などをフランス軍楽隊が1845年に正式に取り入れて演奏をしていましたが、これはイギリス軍楽隊の「失態」となった「ピッチ問題」も容易に解決できるものだったのです。

サクソルンの活躍の場は、主に吹奏楽団の中であった。サクソルンが開発される以前、特にフランス革命勃発の1789年にパリで国民軍楽隊が編成された。これが、周囲の諸国に影響を与え、イギリス、ドイツなどでバンド活動が盛んになった。この頃の楽器は、金管楽器でもキー付きの楽器であり、音色の統一、イントネーションなどに問題があった。1838年にドイツのウィーブレヒトがバルブシステムを改良した楽団を編成、その後1845年にサックスがサクソルンを発表し、それが取り入れられることとなった。バンドの技術をあげるきっかけになったのが、1867年パリ万国博覧会を記念した国際軍楽隊コンテストであり、楽器の改良も進んだ。

サクソルン – Wikipedia

今でこそギターチューナーを買ってチューニングをするとA=440Hzでチューニングされますが、この基準がまだなかったため、その地域ごとなどでバラバラだったのでしょう。

だから各地の軍楽隊の寄せ集めだったイギリス軍がリハーサルなしで「せーの」で演奏したところ不協和音が響いたわけです。

このエピソードは先ほど紹介した論文の「3、ケンブリッジ公の決断」にあります。

迫られる軍楽隊改革とブラスバンド運動 日本ヴィクトリア朝文化研究学会 上宮真紀 著 .pdf

クリミア戦争を起源とする「文化」

ここまで冒頭にご紹介したキーワードのうち「近代印刷技術の新聞によるプロパガンダ」「ブラスバンド」を見てきました。

残りのリストを簡単に解説すると「無宗教の看護師」とはフローレンス・ナイチンゲールのことです。彼女はメディチ家の医療プロパガンダだった線が濃厚です。

ナイチンゲールはイエズス会を作ったメディチ家の庇護を受けプロデュースされた人物。

このナイチンゲールの働きにより、それまで宗教と一体だった医療が「無宗教」になりました。

ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学校を設立、これは世界初の宗教系でない看護学校であり、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。

フローレンス・ナイチンゲール – Wikipedia

無宗教といえば、神様を否定する最もたるものです。それまでの「医療」は、宗教と共にあったので(これもこれで問題でしたが)、この変化は非常に大きいものだったはずです。

そしてナイチンゲールがもう一つ行った改革はデータ・統計による医療の分析でした。

プロパガンダの一種「コピーライティング」の世界では「数字は最も強力な説得ツール」と教えられます。例えば、「会場のほとんどの人」というより「会場内の99%の人」と言った方が、イメージがより明確になります。この「数字」による統計は、人々に無意識に「高い信頼」を与えます。まさか政府が発表する統計が間違っているはずがない、と簡単に信じ込ませることができます。

つまり「統計」とは「世論形成」の手法であり、実数を掴むことだけが仕事ではないわけです。実数をどのように「報道するか」が重要なのです。

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これが「ごまかしし放題の統計」です。

またクリミア戦争では、世界で初めて紙巻きタバコが世界的に広がったそうです。

現在でも葉巻は上流階級の人が吸うイメージがあり、紙巻きタバコは労働者が吸っているイメージですが、これもまたクリミア戦争の頃にできた「常識」でした。

その意味での「タバコ」です。そして当然ですが、タバコは悪です。

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また「世界同時発生する金融世界恐慌」もクリミア戦争がきっかけでした。「1857年恐慌」は「この金融危機は初めて世界規模の経済危機になった」ものだそうです。

1857年恐慌(1857ねんきょうこう、英: Panic of 1857)は、19世紀半ばのアメリカ合衆国で国際経済の退潮と国内経済が急拡大したことから生じた金融危機である。

1850年代までにグローバル化が進み、1857年後半に始まった金融危機は初めて世界規模の経済危機になった[1]。

1857年恐慌 – Wikipedia

実はブラスバンドブームは「労働者の飲酒習慣を断ち切るため」という「口実」を元に始まりましたが、この「禁酒運動」の際に広まったのが「紅茶」でした。

欧米の禁酒運動
19世紀末から20世紀前半にかけては欧米諸国で社会改善運動や道徳立て直し運動が起こると同時に禁酒運動も盛り上がりを見せた。ヨーロッパでは1829年にアイルランドで禁酒運動団体が発足し、1830年代にはスカンジナビア諸国、スコットランド、イングランドでも団体が発足した。英国では1835年に「全国絶対禁酒教会」が発足、プロテスタント教会が集会を開き、アルコールの代替として紅茶を勧め、紅茶が広まった[1]。19世紀後半にはスイスやドイツ、フランス、ロシアなどでもキリスト教の教職者らによる禁酒団体が成立している。アメリカの13植民地の一つ、ペンシルベニア植民地では、1733年4月24日にショーニー族の”ショーニー・インディアン”という団体による禁酒運動が起きた。

禁酒運動 – Wikipedia

今でこそイギリス人は誰もが紅茶を飲むというイメージで、飲食店を中心に日本でも常識ですが、この文化もクリミア戦争がきっかけで広まったものだったのです。

この流れを見ると、大英帝国の「文化」による世界的な支配が行われていたと見ることができます。

コロナパンデミックで半ば強制的にマイナンバーカードが普及されたり、そのほか、ほとんど全てのことを「スクリーン上」で完結させようとする流れが「ウィズコロナ」という言葉と共に広がっていますが、これらも誰かが意図して推し進めていることと見ることができます。

一人でも多くの人がその事実に気づいて、自らの身を守ってほしいとも思います。

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